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中央アフリカ共和国の静かな危機
2005年中旬以降、少なくとも29万5000人が故郷を離れることを余儀なくされた中央アフリカ共和国北部での人道危機について報道されることは少ない。
推計19万7000人が国内避難民となる一方、9万8000人がチャドやカメルーン、スーダンへと避難した。
彼らは、政府軍と反抗グループとの間で起こった戦闘の犠牲者であ る。
多くの国内避難民は、自分達の村落に近い茂みの中で暮らしている。彼らは、干し草で避難場所を作り、野菜を育て、子どもたちのために藪の中の学校を始める。しかし、安全な水へのアクセスと健康管理は大きな問題となっている。子どもたちの多くは下痢やマラリアに罹っているが、親たちは恐怖のあまり、治療のために病院や診療所へ連れて行くことができない。
中央アフリカ共和国北部の牛飼いたちは、子どもたちを身代金目的で誘拐する盗賊、ザラギナ(zaraguina)に脅かされている。村人はそのお金を支払うために、家畜を安く売りとばさなければならないのである。
土地のない故郷
山岳地帯のアフガニスタンでは、土地は重要な資産である。そして、土地を持たないということは、故郷から逃れたアフガニスタン人が帰還を躊躇する大きな理由となっている。
土地を持たない帰還民は、アフガニスタン政府による土地の割り当て事業計画へ応募する資格があるものの、需要は供給をはるかに上回る。2007年末までに当局はアフガニスタン全域に14の居住地を開発していた。30万近くの帰還民家族が申請したものの、そのうち選抜されたのは6万1000世帯であり、実際に居住地に引っ越したのは3400世帯であった。
困難な状況にある帰還民は、ときに野外で寝泊りし、廃墟に身を潜めなければならない。支援機関が井戸や学校といった構造物を作ることを許可されていない紛争下にある土地を占拠する者もいる。
落ち着きを取り戻したあるコミュニティーは、アフガニスタン東部のタンギ(Tangi)と呼ばれる砂漠地帯にその身を落ち着かせた。アフガニスタン民間セクターや国際社会の支援を受けて、水道設備、住居、モスク、その他の設備が建設されはじめており、投資と支援は、不毛な土地を大地に変えるということを証明している。
シリアで通学するイラクの子どもたち
UNHCRは、金銭的支援および制服や文房具の寄附により、 シリアにおける2万5000人の難民の子供たちの通学を目指している。
シリアには、140万人余りのイラク難民が避難しており、 その多くが、2006年サマーラでの黄金モスク爆破に端を 発した極度の宗派間対立から逃れてきた人々である。
多くのイラク難民の親たちは、安全と同様に教育を 最重要事項として考えている。イラクにおいては、 難民の子どもたちが、何の規制や遅れもなく学校に通うことは、 暴力と避難のため困難であった。シリアでは教育費は無償なのだが、 制服代や文房具代、通学にかかる交通費まで無料と するのは不可能であ る。そして、 大多数の難民の子どもたちは、学校に通う代わりに、 家族を助けるため働かなくてはならない。
貧しいイラク難民の家族が子ども達を登録することを奨励するため、 UNHCRは、少なくとも2万000人の学齢期の子ども達へ金銭的援助を提供し、 また、制服、本、文房具をUNHCRに登録されたイラク難民へと提供する予定だ。 加えて、難民が学校へ通う権利についても助言しており、 働く子どもたちに向けたNGOのプログラムを支援する意向であ る。
イエメンに到着した人々
3月末の6日間だけで、ソマリアのボサソからアデン湾を密輸船で航海し、イエメン海岸に到着したソマリア人とエチオピア人は1100人を超える。これらの航海中に、窒息、暴行、溺水などして少なくとも28人が死亡、多くの人々が越境業者により重傷を負った。それ以外にも、海水、汚物、ディーゼル油、その他の化学薬品に長期間接していたことで皮膚の異常が見つかっている。
エリカ・フェラーUNHCR国連難民高等弁務官補は、イエメンを訪問した際、追加資金とイエメンへの国際的な支援を求め、またイエメンにいる難民の生活状況と自立を促進するためのプロジェクトを実施していくため、この状況を世界に訴えていくことを約束した。
2006年1月以来、イエメンには約3万人の人々がソマリア、エチオピア等の国々から逃れてきており、その船旅の間に500人以上が命を落とし、少なくとも300人が行方不明になっている。UNHCRは既にイエメンにいる10万人以上の難民に支援物資や仮設住居を提供している。