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リベリア:帰還、再定住、社会復帰、復興
2003年のリベリア和平合意締結は、14年間続いた激しい内戦後のリベリアの平和と繁栄への長い旅路の始まりとなった。UNHCRは当時から難民26万人、国難避難民30万人を含むリベリア帰還民50万人以上を支援している。
UNHCRと関連団体は、帰還民の後方支援、保護の他、毛布、マットレス、ビニールシート、調理器具、ランプ、衛生器具等の非食糧物資を支給している。今年に入り2万5000人のリベリア難民が帰郷し、UNHCRは懸念されていた国難避難民の帰還を終了した。
リベリアの復興を長期的に成功させる努力を続けるため、UNHCRはコミュニティを基盤とした復興事業を実施し、重要なインフラとなる道路、避難場所、給水所、学校、病院等の修理を行っている。この事業は帰還民に雇用を生み出すことを目的とし、UNHCRは帰還民の自立のために小額のビジネスローンも提供している。
コロンビア:バリオス(Barrios)での生活
コロンビアは、国内で40年以上に及ぶ武力紛争によって、世界で最も多くの国内避難民を抱える国の一つとなっている。200万人を超える人々が家を追われたが、その多くは遠隔地の農村から比較的安全な都会へと逃れてきた。
家を追われた家族はしばしば都会の郊外に広がるスラム街に住まざるを得ず、ごく基本的な公共サービスさえ受けることが出来ない。首都ボゴタのすぐ外にあるアルトス・デ・カスーカ(Altos de Cazuca)とアルトス・デ・フロリダ(Altos de Florida)のスラム街には、何万人もの国内避難民が生活しているが、保健、教育や住居サービスはほぼ存在しない。非正規の武装勢力やギャングがスラム街を制圧し若者を狙うために、安全面においても懸念されている。
UNHCRは、コロンビア国内10か所で当局と協力し、基本的サービスや衛生、教育、安全を含めた国内避難民の権利が保障されるよう活動している。
アデン湾を越える命がけの密入国をとどめるために必要とされる国際的な支援
驚くべき数の人々が密輸船に乗って、 ソマリアからアデン湾を渡りイエメンに向かおうとして命を落としている。 2005年後半の3週間で、少なくても150人の人々が命を落とした。 これらの人々が死亡したのは、彼らをぎっしりと詰め込んだ船の転覆、 破損、または食糧や水が無い状態で漂流した結果である。 イエメンまでの旅で生き残った人々は、乗客を暴行したり、 岸からまだ遠いにも関わらず船から乗客を降ろしたりする(時には乗客は手足を縛られている) など冷酷な越境業者について報告している。 この状況に対して、UNHCRはイエメンやその先の国に行こうとして、 冷酷な越境業者の餌食となってしまった自暴自棄なエチオピア人やソマリア人の難民や 移民の流入を止めるための対策の緊急性をアピールした。 UNHCRはまた、北東ソマリアのプントランドの当局と共同して、 越境業者を利用してアデン湾を渡ることは危険であるということを人々に知らせる方法について 検討している。 この取り組みには、ソマリア人やエチオピア人に越境のリスクを 訴えかけるビデオやラジオのプログラムの作成も含まれている。
スーダン南部への難民帰還、正式に開始
スーダン南部で21年間続いた内戦の和平合意から1年、 2005年12月17日にUNHCRの正式な帰還が始まり、 スーダン難民の一団がケニア国境を越えて帰還した。 多くのスーダン難民が過去数年間にわたり自力で帰還していたが、 ケニア北西部のカクマ難民キャンプからのこの一団が初めてUNHCRの支援で 帰還した人々となった。
難民の生活再建を支援するため、UNHCRとパートナー機関は難民に マットレス、台所用品、ビニールシート、ポリ容器や6週間分の食料を提供。 UNHCRはスーダン南部の他の地域では帰還する 難民だけでなくコミュニティー全体の利益となるよう井戸を掘り、 学校、道路を建築し、診療所の修復を行っている。
この最初の帰還は小規模ではあったが、 いまだ近隣諸国に避難している35万人のスーダン難民や 約400万人の国内避難民の帰還へ向けて、非常に大きな前進となった。