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停戦後、故郷へと急ぐレバノン人

2006年8月16日

レバノンでの停戦を受け、多くのレバノン避難民がレバノン国内やシリアから帰還している。UNHCRは破壊がひどい地域へと続く道路を監視し、多くの人が近日中に帰還すると予測している。

UNHCRのチームは国境やシリアからの4か所の国境検問所を監視し、帰還民を支えている。彼らは帰還に際し、水、ビスケット、濡れタオルや浄水を作るための塩が入ったパックが配られた。さらに、特別な支援が必要な人の支援を確実にし、帰還のための交通手段や交通費のない人々には難民機関が移動手段を整えた。

レバノン国内でUNHCRチームは道路沿いに配給所を設置し、ビニールシート、マットレス、水等を帰還民に配給している。支援の全容は多くの被害を受けた地域での調査が済み次第明らかになる。

東ティモール緊急事態5:届きはじめる支援物資

UNHCRは東ティモールでの緊急支援活動を6月に拡大し、首都ディリでの暴動から地方に逃れた数万人も支援を行うようにした。ディリには約7万2000人の避難民がいるが、郊外にも推定7万9000人の故郷を追われた人々が避難している。

ディリの東25kmのところにヘラ村があり、東西から避難してきた人々に対してUNHCRは避難のための資材や緊急支援物資を配給した。ヘラ(Hera)の住民の多くは、西から故郷を逃れ、身を隠している人々である。東部から逃れてきた数少ない人々はフェンスで囲まれた安全な海軍の敷地内に移住しているが、そこでディリを逃れた東部の仲間と寄り集まっている。ディリ40分の郊外にメチナロ(Metinaro)という場所があるが、そこやアウトゥロ(Auturo)島などにもUNHCRは避難のための資材を配給した。

避難民は、恐怖で故郷には戻れず、危機が過ぎ去るまで一時避難場所に留まると述べている。暴動は散発的に続いているが、UNHCRはこのような人々に支援を続ける。

2006年 タイのミャンマー難民

ここ数か月の間に2000人以上のミャンマー人が国境を越えてタイに逃れてきている。その理由として、多くはミャンマーのカヤー州で再発した紛争と人権侵害を挙げている。難民を構成する主な民族であるカレン族の人々は、家や村が焼かれ、一般市民が殺されたと証言している。多くは長く危険な旅を続けてきたため、キャンプ到着時にひどく弱っており、マラリアなどの病気に罹っていた。難民は、タイ北部メーホンソン(Mae Hong Son)にあるタイ政府が運営するキャンプに到着している。

UNHCRは、新しく到着した難民のキャンプへの入居支援、十分な住居と法的保護の提供をタイ政府やNGOと協力して行っている。しかし、各難民キャンプには大きな負担がかかっており、特に住居の提供は課題となっている。タイ政府は、5月半ば、現状を打開するため新しく到着した難民のための住居をつくることに同意した。

14万人のミャンマー難民が、タイ国境近くにある9か所のキャンプで暮らしているが、そのうち多くの人々が、20年近くをキャンプで過ごしている。

2006年ナンセン難民賞

写真は株式会社富士メガネより寄贈

UNHCRは、2006年ナンセン難民賞を日本人オプトメトリストである金井昭雄氏に授与した。金井氏は20年以上にわたり世界中で避難を余儀なくされた10万人以上の人々に対し、視力検査、眼鏡の寄贈を通じて生活の質向上に努めた。

自身も第二次世界大戦末期にサハリンへの避難を余儀なくされた金井氏は、1983年にタイから逃れたインドシナ難民に対して人道支援を始めた。1984年に初めてUNHCRとともに活動を行い、その後ネパール、タイ、アゼルバイジャン、アルメニアで24回以上の支援活動を行っている。金井氏はまた、視力検査の機材や10万8200の眼鏡の寄贈、現金支援、現地医療スタッフの訓練等、幅広い活動を行っている。

株式会社富士メガネ会長である金井氏の家族や会社の従業員も富士メガネの視援隊プロジェクトに参加している。これまでに社員約70名が参加し、休暇を使って難民キャンプで支援活動を行った。

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