【職員インタビュー】古林 安希子 UNHCRウガンダ事務所 アソシエイト・ソリューションズ・オフィサー

ウガンダで、難民の農家グループ収入向上プロジェクトを訪問する古林職員(後列左から4人目)
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子ども時代に抱いた
将来の夢

小さいころから漠然と、将来国際的な仕事に就きたいと思っていました。当時は緒方貞子さんが国連難民高等弁務官だったこともあり、海外で活躍する日本人女性がよくメディアで取り上げられていたんです。でも、私が生まれ育った四国には周りにそういう仕事をしている人もいなかったので、両親が新聞記事の切り抜きを渡してくれるのが習慣でした。

今思えば、両親も昔から英語を勉強するのが好きで、若いころ海外に出たいと思った時期もあったけれどタイミングが合わなかった。だから、自分の子どもにはチャンスを与えたいという気持ちがあったのかもしれません。私の視野を広げてくれ、世界を舞台にしたキャリアを目指せるようサポートしてくれた両親の存在なくして、今の自分はいないと思います。

私が最初に難民問題を身近に感じたのは、高校生の時です。カナダに一年間交換留学していたのですが、ホストファミリーが、イラン革命の時に宗教的迫害を受けカナダに移ってきた人たちでした。身近な人が投獄されてしまった経験、自国を離れなければならなかった辛さ、自分の子どもにアイデンティティや母語を受け継いでいくことの難しさなどを聞いて、難民や移民の存在を気にかけるようになりました。

大学での出会いにも影響を受けました。弓道サークルの仲間だったスリランカ人の留学生です。自国でマイノリティとして生きる難しさ、紛争のために引っ越しを繰り返した苦労などを聞き、もっと深く知りたいと、卒論のテーマに「スリランカの紛争と国際支援が与えた影響」を選びました。当時、まだ紛争が続いていたので日本のいち大学生が渡航することは難しく、現地調査ができなかったのが心残りでした。

大学院で踏んだ
途上国のフィールド

卒業後は、実は日本の民間企業に勤める予定でした。でも心のどこかで、紛争地域の人たちの役に立ちたいという思いがひっかかっていて、悩んだ末に内定をお断りして大学院に進みました。卒論を通じて紛争の影響によるメンタルヘルスに興味を持ったこともあり、開発途上国における国際保健を専攻。所属していた研究室のネットワークもあり、カンボジアをフィールドに選んで現地調査にも何度か入りました。

研究室で実施していたマラリアの調査のアシスタントをさせてもらう機会もありました。WHO(世界保健機関)との連携プロジェクトで、国連という大きな組織がどのように国のシステムをサポートしているのかを知ることができ、また違う視野を持つことができました。研究生活も楽しかったのですが、自分には途上国で事業を効率的にまわすために必要なノウハウがない、プロジェクトマネジメントを身につけたいと、次の進路には民間企業を選びました。サプライチェーンの業界にどっぷりとつかり、民間ならでのスピード感とリソースをもって、仕事に没頭することができたのはいい経験でした。

3年働いて博士課程に戻り、国際保健の研究を進めながらジュネーブで国連インターン、ニューヨークへの留学、ヨルダンやケニアでフィールドワークなどを行ううちに、小さいころに抱いた夢への道筋が少しずつ具体的に見えてきました。

JPOに応募
ウガンダで夢の一歩へ

「紛争や迫害によって、住み慣れた場所を追われた人たちをサポートしたい」

その思いを自分の中で再確認し、目指してきた国連職員への道へと歩みを進めることを決意。現場経験が重視される業界なので、私がキャリアを切り開くためにはどうすればいいのか、いろいろ調べてたどり着いたのが外務省の「JPO派遣制度」でした。試験対策として過去問に取り組んだりもしましたが、JPO経験者に話を聞く機会にも恵まれ、国連機関で働く日本人とのネットワークができたのは大きな財産です。UNHCRウガンダ事務所からオファーを受けた時にも、アフリカで人道支援の経験がある方に相談に乗ってもらったりもしました。

両親は小さいころからの私の夢を知っていましたし、すでにいろいろな国を飛び回っていたので、「がんばって行っておいで」と応援してくれました。ただ、「アフリカか。少し遠いね」と言われましたけど(笑)。

2018年4月からは、首都カンパラにあるUNHCRウガンダ事務所で「アソシエイト・ソリューションズ・オフィサー」として勤務しています。UNHCRの中では新しいポストで、2016年に策定された「包括的難民支援枠組み(CRRF)*」の推進役を担っています。

ウガンダは世界的に見ても革新的な難民政策を進めている国で、CRRFの15のパイロット国の1つです。ウガンダに逃れてきた人は “キャンプ”ではなく “居住区”と呼ばれる町のような場所に暮らし、移動や労働の自由もあり、ウガンダ人と同様に現地の学校にも行けます。そういった寛容な政策が難民に活躍の機会を与え、自助を促している様子も目の当たりにしています。

一方で、2016年に隣国南スーダンの情勢悪化により難民の数が急増し、以前と同じサービスの提供が難しくなってきているという現実もあります。そもそもウガンダは途上国であり、リソースが豊富ではありません。この国が大切にしてきた難民受け入れの姿勢を尊重し、難民と現地の人が共存していくためにはどうしたらいいか、ウガンダ政府と密に連携しながら政策や制度の強化に取り組んでいます。

ウガンダではCRRFを計画・推進し、モニタリングするために、四半期に一度、すべてのセクターが参加するハイレベル会合が開催されているのですが、難民の代表者も参加します。難民自身の声が政府の政策やドナーの支援方針に反映されるよう働きかけることもUNHCRの重要な役割で、難民のリーダーの方たちと議論し、サポートする仕事にやりがいを感じています。

また、難民支援にはステークホルダーとの連携が不可欠です。

ウガンダでは寛容な難民受け入れ政策が功を奏し、政府、民間、NGOの連携がすでに多く進められています。革新的な事例、うまくいかなかった取り組みから学んだことなどを集めて、他の国にも共有できるようレポートにまとめるのも私の仕事。まだまだ連携のポテンシャルはあるので新たなパートナーの発掘にも取り組んでおり、この先、日本の企業の技術やノウハウももっと活用していけたらとも思っています。

難民受け入れに対するウガンダの人々の温かい姿勢には、日々感動しています。政府の方たちは口をそろえて、難民もみんな兄弟だと。ウガンダも30年ほど前に内戦を経験しており、自分たちが困った時には近隣国が助けてくれたから、私たちももちろん助ける。特別なことではなく“お互いさま”なんだと、当然のことのように話します。いつも謙虚で、UNHCRの職員としてはもちろん、日本人として学ぶことが本当に多いです。

 

自分が実現したい夢を
信じて進む

ウガンダは気候もよく、人も優しく、住みやすい場所です。国際協力に携わる人もたくさんいて、他の国連機関や、NGOと定期的にミーティングの機会をもって、情報共有や方針などを議論しています。日本人も多いので、個人的に同世代のJPOやUNV(国連ボランティア)の友人と勉強会を開いて、お互いの仕事やキャリア、生活情報などを共有しています。

高校生の時に関心を持ってからUNHCRで働くようになるまで、自分の履歴書を見ると、民間企業、大学での研究、無職で無給インターンをしていたりとぐちゃぐちゃです。でも、いつか実現したい夢をしっかりと持っていれば、必ず道は開けてくると感じています。少しみんなと進む道が違ったり、直接的に関係ないように見えるキャリアでも、自分が大切にしてきた思いを忘れずに、ぜひ飛び込んでみてほしいと思います。

<プロフィール>
東京大学大学院国際保健学専攻修士課程、コロンビア大学国際公共政策大学院修士課程修了。民間企業での勤務、国連インターン、研究助手、短期コンサルタントなどを経て、2018年4月よりUNHCRウガンダ事務所でアソシエイト・ソリューションズ・オフィサー(日本政府によるJPO派遣)として勤務。

 

* CRRF: Comprehensive Refugee Response Frameworkは、 2016年9月に国連総会で採択された「ニューヨーク宣言」の附属書Ⅰに記載された、移民と難民の保護を促進するための国際的な枠組み。2018年12月に採択された「難民に関するグローバル・コンパクト」のベースとなるもの。