シャハドのストーリー
4歳のシャハドはシリア西部にあるハマ近郊の村で生まれました。シャハドとは「蜂蜜の一番甘いところ」という意味です。
大麦と小麦を栽培していた紛争前の生活は「最高の人生」だった-イェヒア、シャハドの父
しかし昨年の9月、シャハドと家族が住んでいたの3階建ての家が攻撃され、10歳の兄ジャシムとまだ2歳にもなっていなかった小さな妹のアヤ、そして5人の親族を亡くしました。シャハドは瓦礫の中から救助され一命を取り留めたものの、その時シャハドの顔はずたずたに裂け、美しくやわらかい髪は頭部から引き剥がされてしいました。
家族は急いでシャハドを近所の病院に連れて行きましたが、人手不足で働きづめの医師たちは針で簡単に傷を縫っただけで、きちんと傷口を洗うこともないまま、家族を病院から追い出してしまいました。家族はみな国境へと向かったものの、数十もの検問所を通るたびに引き止められ、収容される不安に怯えなくてはなりませんでした。そして避難を始めてから17時間後の深夜を過ぎたころ、スーツケースひとつでやっとレバノンにたどり着いたのです。
シャハドと家族はUNHCRによる難民登録を済ませ、マットレス、毛布、調理道具や衛生キットなどの支援物資を受け取りました。かろうじての電力が供給され、屋外に設けられた簡易トイレや、飲み水が確保された建物では、食糧引換券も受け取り、避難所での生活が始まりました。
イェヒアはその他の多くの父親と同じように、生き残った家族の安全を守るためにできる限りのことをしています。
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