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中央アフリカ共和国:終わらない苦しみ
イスラム系の反政府組織連合「セレカ」による紛争が始まって1年が経ち、暴力行為があふれ、大量な避難民が発生し、中央アフリカ共和国における人道危機は深刻化する一方である。
首都バンギを訪問した後、アントニオ・グテレース高等弁務官は中央アフリカの状況について「言葉では言い尽くせないほど深刻な人道惨劇である」と述べた。
中央アフリカにおける地域間紛争の根源が複雑であり、さらに最近数週間「セレカ」と「反バラカ(キリスト教系民兵組織)」による一般市民への報復攻撃が繰り返している。こうした状況によって、中央アフリカの人口の五分の一もいる人が避難を余儀なくされた。そのうち、およそ62万5000人が国内避難民となり、約31万2000人が隣国に避難しているという。約250万人が緊急支援を必要となっているという事実に直面しているが、予算の欠如、治安の悪化が原因で避難民に十分な支援を行なうことができない。
避難民は中央アフリカ全土に散在し、首都バンギの国際空港だけで5万4000人を超える人がいる。避難民への支援と保護は急務である。UNHCRと写真家アニバーレ・グレコが現地で撮影した記録である。
シリア紛争開始から3年:紛争下の子ども
シリア紛争が始まった2011年3月15日、アシュラフはホムスに住む家族の7人目の子どもとして産まれた。アシュラフが産まれて一週間もしないうちにホムスは戦渦に巻き込まれ、爆撃が続く日と不気味なほど静かな日が交互に続いた。数ヶ月の間ほとんど家を出ることが出来なかったが、攻撃が落ち着くと母親はアシュラフを連れ近くの診療所までワクチン接種と健康診断を受けるために走った。
アシュラフがまだ1歳半のとき、叔父と叔母、そしていとこが殺されてしまった。次は自分たちかもしれない、と恐れたアシュラフの家族は車にわずかな貴重品を積み国境へ向かった。
家族が後にしたホムスの自宅は数日後破壊され、略奪された。写真家のアンドリュー・マックコーネルはレバノンのベカー渓谷にある新しい家で暮らす家族のもとを訪れた。ぬかるんだ崖の上に建てられた家はビニールシートや布、鉄くずでつぎはぎされている。床はUNHCRに支給された毛布やマットレスで覆われている。避難している家族は、子どもたちが濡れないように暖かく保ち、ねずみから守らなければならない。アシュラフは今でも大きな音に驚くことがあるが医者はそのうち慣れてくると語った。
中央アフリカ共和国:帰還への道のり
中央アフリカ共和国で続く暴力行為は、これまで中央アフリカで避難生活を送っていたチャド、カメルーン、コンゴ民主共和国出身の難民にも影響を与えている。中央アフリカの首都バンギなどに避難していたコンゴ難民にとって、故郷の家はウバンギ川を渡ればすぐの場所にある。今年初旬UNHCRは、帰還を望む難民たちを支援すると発表した。そして1月中旬以降数百人の難民の帰還をサポートしてきた。UNHCRのスタッフが撮ったこれらの写真は、364人のコンゴ難民の帰還の様子を捉えている。写真に写っている難民は、コンゴ民主共和国のゾンゴに向かっている。ゾンゴの一時滞在センターで一夜を過ごし、夜が開けたらまたふるさとへの旅を続けるという。帰還した難民の多くが内戦中の1996年から2003年の間に逃れたが、これまで帰還を決意するのは大変困難であった。しかし中央アフリカにいる1万7000人のコンゴ難民のうち、約6000人が既にUNHCRに帰還の意志を表明している。
南スーダン:国内避難民の日常
南スーダンで戦闘が始まってから3週間。これまでに約20万人が新たに避難民となり南スーダン国内で避難生活を送っている。現在約5万7000人が国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)の施設で生活している。
キティ・マッケンジーUNHCRアフリカ地域担当・上級広報官が撮影したこれらの写真は、南スーダンの首都ジュバの空港近郊のUNMISS施設、トンピンで生活する1万4000人の日常を伝えるものである。UNHCRをはじめとした人道支援機関は食糧、シェルター、毛布などの支援を行っている。施設内には市場やゴミ収集場、公衆浴場などがあり小さな街のような様相を呈している。不安定な状況下でも子どもたちは笑顔を見せ、身の回りの物で遊ぶ逞しさを見せている。