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ダルフールの難民たち
2003年3月のスーダン、ダルフール地方での紛争勃発により、約20万人の難民がチャドへ避難している。その多くは女性と子どもである。ダルフールからの難民は、住居や家族を残して避難してきた。ダルフールの村々では武装集団による殺害やレイプ、略奪、家や持ち物への放火、人々の強制退去が報告されている。
難民の多くはチャド東部のUNHCRが設営した11の難民キャンプに避難しており、人道的支援、避難所、水等の基本的サービスを受けている。
水や薪が極端に乏しく、砂漠が多いチャド東部の環境でのキャンプ生活は厳しい。乾季には砂嵐が多く、雨季には集中豪雨のため洪水となる。
しかし、苦難や彼らが受けた暴力の苦痛にもかかわらず、難民たちの表情には尊厳や希望が残っている。
シエラレオネ:リベリアからの最後の帰還
2004年7月21日、帰還民286人を乗せたリベリアからの最後のUNHCRの帰還隊が、マノ川橋を渡ってシエラレオネに到着した。10年もの間シエラレオネで続いていた悲惨な内戦が2000年にようやく終結し、難民約28万人が故郷に帰還したが、その最後の帰還民たちがこの部隊には含まれていた。2001年に帰還事業が始まって以来、UNHCRは合計で難民約17万8000人の帰還を支援してきた。それ以外にも、UNHCRの輸送支援を受けずに自発的な帰還をした人の数は9万2000人にのぼる。
帰還した人々が出身地のコミュニティで新しい生活を確立できるように、UNHCRは食糧配給に加えポリ容器、毛布、寝袋、石鹸、農具などを帰還民に提供した。また、新たに到着した帰還民の統合が進むように、全国約1000ヶ所でコミュニティ・エンパワーメント・プロジェクトを行ってきた。そうした事業では、学校、診療所、水道局、衛生管理局などを建設したり復旧させたりするほか、マイクロ・クレジット・スキームや技術訓練なども行われた。
UNHCRと関係機関は、国連カントリーチームや現地政府とともに、2005年末にかけて帰還民の再統合支援を続けていく。
ミャンマーの帰還民
1990年代初頭、バングラディシュにはムスリム系のロヒンギャ人25万人以上が国境を越えて逃れてきたが、彼らの多くがミャンマーの軍事政権から人権侵害を受けた人々だった。バングラディッシュのコックス・バザール地方にある20のキャンプでは、難民たちが支援をうけて避難生活を送っていた。1992年以来、23万人以上のムスリム系ロヒンギャ人が帰還しているが、約2万2000人が依然としてバングラディシュに避難している。UNHCRと協力機関は、帰還民の保護と安全のための監視を行うほか、職業訓練、所得創出計画、成人向け識字事業、初等教育なども行っている。これにより、ミャンマーにおける帰還民コミュニティを安定させ、出身国での再統合を支援している。
ダルフールにおける破壊と避難
2003年初めの紛争勃発により推計100万人がスーダン西部のダルフール地方で避難民となっている。報道によれば民兵は村の住民を殺害、レイプし、多くの人々がダルフールの故郷から追われている。避難民の多くが混み合った仮設住宅でいまだに民兵の略奪を恐れながら暮らしている。
UNHCRは、2004年6月からダルフールにおける事業を開始した。これは同国の国連チームがUNHCRに難民保護やキャンプ運営、用地計画の専門性を共有したいという要望に応えてのことだった。UNHCRはニャラ、エル・ジェネイナに事務所を開設し、エル・ファッシャーでのUNHCRの存在感を高めようとしている。UNHCRチームは現在ある避難民のためのキャンプの設計や構造を向上させるために評価を開始し、政府のキャンプ責任者に避難民保護や避難民の人権に関する訓練を行っている。