Tokyoリリース
難民の声:ダバン・サイ・ヘインさんインタビュー
2013年7月 4日
ダバン・サイ・ヘインさん(ミャンマー出身)
私が日本に来たのは2004年5月です。当時祖国ミャンマーでは民主化活動の自由がなく、身の危険を感じたことから国を出ることを決意しました。
―はじめて日本に来た時はどんな気持ちでしたか?
家族や友人と別れて単身で日本に来た時、私は25歳でした。とにかく早く自立したいという気持ちが強かったので、紹介して頂いた飲食店でアルバイトを始めました。日本語がほとんど話せない状態でしたが、任されたのはホール(接客)のお仕事。ですから、最初に覚えた日本語は「いらっしゃいませ!」と「ありがとうございました!」でした。誰かに助けてもらうのではなく、自信を持って働けるようになりたかったので日本語のメニューを1週間で覚えました。今思うと、すぐに働く機会に恵まれた自分は幸運だったと思います。
―日本に来て驚いたことはありましたか?
駅のホームに「点字ブロック」があることに衝撃を受けました。ミャンマーでは身体に障害のある人は外に出られず、とても不自由な生活を送っています。でも日本では、そのような人達が自立して自由に動けるような配慮がされている。素晴らしいことだと思いました。
―現在、関西学院大学で勉強されていますね。日本で勉強したいという希望はずっとお持ちだったんですか?
日本に来てからなかなか難民認定が得られず、収容された時期もありました。そのときに強く感じたのは、「日本の法律を知りたい」ということでした。収容という辛い経験を通し、もっとしっかりと知識を身につけ、自分の身は自分で守り、さらに周りで困っている人の助けにもなりたいと強く思うようになったんです。晴れて難民認定された後に「難民高等教育プログラム 」について知ったときは「これだ!」と思いました。日本で理解ある弁護士の方と出会ったということもあり、今は関西学院大学の法学部・法律学科で勉強しています。
6月20日「世界難民の日」のシンポジウムで司会をするヘインさん
―どんな大学生活を送っていますか?
楽しむというより、毎日勉強で精一杯です(笑)。でも、勉強のかたわら「J-FUN ユース」という難民支援を行う学生団体に所属しています。この団体の勉強会では自分自身の経験を話したりすることもあります。
―辛いとき心の支えになっているのは何ですか?
私が信仰しているキリスト教の教えです。聖書には自分より弱い人、辛い思いをしている人が沢山出てきますが、神様はいつも見守っていて下さいます。聖書を読むと心が癒されるんです。大学で出会ったキリスト教徒の先生のお一人が、私のためにお祈りをして下さったり、相談に乗って下さったりするのにもとても勇気づけられています。
―今大学で勉強していることを将来、どのようにいかしたいですか?
自分が身につけた法律の知識を困っている人に共有し、役立てたいです。社会のルールを知るというのはとても大切なことなので、将来は祖国ミャンマーでも役立てたいと思います。
―今、日本に対してどのような思いを持っていますか?
日本は私の第二の祖国です。だからこそ、もっと日本の力になりたいと思います。日本には若い難民が沢山います。皆日本の「お荷物」になりたいのではなく、一生懸命働いて日本を支える力になりたいと考えています。どうか難民の存在を認め、「日本社会のお荷物」ではなく「日本社会にとっての利益」と捉え、難民の力を活用して欲しいと強く願います。
―祖国ミャンマーに対してはどのような思いがありますか?
いつかは帰りたいという希望を持っています。私にとっては25年暮らした祖国です。もし帰ることが出来たら、日本で学んだことをミャンマーでもいかしたいです。そして、日本とミャンマーの架け橋となるような仕事をし、日本に恩返しがしたいと思っています。