イラク戦争から逃れたマジド

子どもたちが良い教育を受けられることを願って

マジド(31歳)

私が米国での生活に最も期待していたことは、二人の子ども、ローズとババンがきちんとした教育の機会を得ることでした。イラクでは、外に出るだけで常に自動車爆破テロの危険と隣合わせでした。良い学校に行き、平穏の中で暮らすことが私たち家族の悲願だったのです。

クルド人である私たちは、子どもにクルド系の名前をつけることも、自分の名前で家を持つこともできませんでした。国籍を変更すればそれも可能になりますが、それには「イラク国籍を捨てる」という重大な決断が必要です。。

だから、米国に行けると知ったとき、希望の光がさしたように感じました。新しい環境で生きていくことは、決して楽ではありません。でも、時間がかかっても前向きに目標に向かって努力することが夢を叶えるための近道だと、家族や他の難民たちに伝えたいんです。

ここでは誰も僕らのことを、これまでの人生や宗教、肌の色や持ち物で判断しようとしないんだ。皆が同じ人間として、普通に接してくれる。だから、クルド人であることを誇りに思うことができるんだ。

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Shadan at ESL class

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New furnitures for Chakmark's

A day at the beach

Majid Chakmark and daughter Rose

イラク北部・キルクーク 出身のマジドと妻・シャダーン、二人の子どもローズ(7歳)とババン(4歳)は2015年1月に米国イリノイ州シカゴへと渡りました。。

イラクでマジドは難民支援をするNGOで仕事をしていました。自動車爆破テロの犠牲者や暴力行為で店が破壊されてしまった人々のもとに出向き、金銭的な援助も含む様々な支援を行いました。
しかし、キルクークの治安は日に日に悪くなり彼の友人の多くもテロにより命を落とし、マジド一家は国を去る決意をします。

米国への第三国定住の機会を得るまでに、マジドの家族は4年の歳月を費やしました。その間、バグダッドの米国大使館で面接を受けるために、武装勢力の監視下に置かれている道を二度も往復するという危険も冒しました。

米国に着いて2ヶ月後、マジドは自動車の部品を扱うフェデラル・モーグル社で職を得ました。ローズとババンもすぐに学校に馴染み、新しい友人に恵まれ英語力もめきめき上達しています。シャダーンも平日は語学学校に通い、歴史の教師になるという目標を胸に勉強に励んでいます。またマジドは将来、キルクークでの実務経験を生かして、NGOのマネージメント手法を学びたいと考えています。

 

Right Petition Text – JP

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