皆それぞれ難民にまつわるストーリーを持っています。 それはあなた自身のストーリーかもしれないし、家族や友達のストーリーかもしれません。またはあなたがテレビやネットで見聞きしたストーリーかもしれません。あなたのストーリーをシェアして家を追われた人への支援の気持ちを示してみませんか。
例:「避難」「私の難民の友達」「ソマリア出身のイブラヒム」
あなたの住んでいる国、もしくはストーリーと関連している国を記入して下さい。
Example: https://www.youtube.com/watch?v=o4OIVW0waEo
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2012年10月にシリアを逃れ、難民となったマハムード一家はエジプトで困難な生活を送ってきました。
難民の勇気には、生き抜くためだけではなく、奪われた人生を立て直す力強さを持ち備えています。
アントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官
もしもあのとき僕たちに選ぶことが出来たなら、故郷を離れることなんて考えもしなかっただろう
イェハヤ、レバノン100万人目のシリア難民
「本当の意味での平和を実現するための方法はひとつ。 紛争に関わった人全員が自らの過ちに気付き、そしてお互いを許しあうことです。」
「早く故郷の恒久住宅に戻れますように。それを願っています。」
私たちにはもう何も残っていません。
アワドの家族は2012年4月に、破壊された家の瓦礫の中から掘り出した礼拝用の敷物と衣類だけを持ってシリアを離れました。アワドにとっての祖国の思い出は、紛争のもたらした恐怖と破壊、また息子の死によって損なわれてしまいました。今はただ希望を失った祖国とアワドと同じように祖国を逃れた人たちと共に悲しみを分かち合っています。
夢は難民が世界からいなくなり「難民ナウ!」もなくなることです。
―難民ナウ! 宗田勝也さん (宗田さんのインタビューはこちら)
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生まれ育ったシリアを離れ、ヨルダンへ。 彼らの願いは、紛争が起こる前のような穏やかな暮らしを取り戻すこと。
イェハヤはレバノンで100万人目のシリア難民として登録されました。
4歳のシャハドはシリア西部にあるハマ近郊の村で生まれました。シャハドとは「蜂蜜の一番甘いところ」という意味です。
皆さん、6月20日が何の日が知っていますか?
“ヨルダンで出会った子どもたち全員の「本当に笑える日」が 一刻も早く訪れることを願ってやみません。”
「学んで得た知識は私に力を与えてくれます。学校が私に輝くチャンスをくれたのです。」
年老いた母親と娘を背負って歩いた15日間の記憶
タンは妹お母と共に2011年タイへ逃れました。 今はタイの難民キャンプで生活しており、「ここでは安心できる」と言います。
アシュラフはシリア紛争が始まった2011年3月15日にホムスで産まれました。まもなくして家族は車にわずかな貴重品を積みレバノンに向かいました。
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