フォトジャーナリスト 大瀬二郎

Photo by Jiro Ose

コーベキャンプに到着後、アイザック君が叔母さんと再会し初めて笑顔をうかべる。2011年7月撮影。Photo by Jiro Ose

教室に入るとたくさんの瞳がいっせいに私を見つめる。小さな教室に溢れかえる、希望に満ちた子どもたちの顔。その中に、見覚えのある少年がいた。目が合ってから数秒ほどかかったものの、それが彼だとすぐに分かり、「あの子だ!あの子がいる!」と心の中で叫ばずにはいられなかった。自分はなかなか人の名前が覚えられないが、一度会った人の顔だけは忘れない。あまりの嬉しさに彼に近づいて、私のことを覚えているか身振り手振りで聞いてみると、彼は少し恥ずかしそうにニッコリとうなずいてくれる。今年1月のことだった。

アイザック君と出会ったのは2012年7月、エチオピアのドロアド。不安と疲れに満ちた瞳の彼は、たった一人で、ソマリアから着ている服 とたった一つのビニール袋に入った所持品を携えてその日の朝に到着していた。キャンプに着く前は、1ヶ月ほど学校に通ったものの、治安悪化と干ばつで学校は閉鎖され、学校に通うためにソマリアのベイ地区に住む家族と離れ、ドロアドにやってきたと彼は語る。その日、彼が親戚と再会するまで一緒に付き添い、彼が叔母さんと再会出来たとき初めて笑顔を浮かべた。

あれから2年の年月が流れ、背も髪も伸びたアイザック君。彼の連絡先をもらい写真を何枚か撮ったあと、また彼に会いに来る約束をして、次ぎの取材先に行くために急いで教室を後にする。

「彼はまだここにいるんだ。」

砂埃舞う難民キャンプの様子を移動中の車の窓から見ながら、この厳しい現実が脳裏に焼きつき、彼と別れてからは再会の高揚感が次第に薄れていく。

ソマリア南部の国境からわずか数キロ隔てた所にあるエチオピアのドロアド周辺の難民キャンプ。合計5つのキャンプにに身を寄せる人の数は現在20万人に及ぶ。ドロアドを初めて訪れたのは、ソマリアが非常事態に陥った2011年8月。国連がソマリア南部における飢饉を宣言したばかりの頃で、コーベと名付けられた難民キャンプでは、毎日10人の子どもが栄養失調で命を落とすような状況下、毎日数千人が命からがら国境を越えて来ていた。しかしその後、ドロアドを訪れるたびに状況は改善している。栄養失調率や死亡率は劇的に低下し、より住みやすいシェルターが建てられ、水や公衆衛生の質が向上した。私が前回ここを訪れた目的は、新しく設置された太陽光を利用した街灯の撮影だった。

自分はアイザック君が安心して教育が受けられることを嬉しく思う。「将来は医者さんになりたい!」、「僕はエンジニア!」、「わたしは先生!」と胸をはって宣言するドロアドの子供達。だが彼らの将来のことを考えると、悲哀を隠さずにはいられない。ソマリアの状況は多少は改善しつつあるものの、それがいつまで続くのか誰にも分からない。話を聞いた人のほとんどは、いつ帰国する日が来るのか、むしろそもそも帰国することが可能なのか分からないと言う。エチオピアは各国から来る難民に対して寛容であるものの、アイザック君を含めソマリアからの難民は教育や技術訓練を受けられても、キャンプの外に住んだり働いたりすることは許されていない。

巨大な問題に対して、一個人としてできることは限られている。だがカメラのレンズを通し、難民の人びとが直面している厳しい現実について伝えることによって、ごくわずかでも、彼らの生活環境の改善に貢献できればと、これからもキャンプ に足を運び続けるつもりだ。

大瀬二郎 (フォトジャーナリスト) 大阪生まれ。フォトジャーナリストとして新聞社に勤務。2005年からはフリーランスとして活躍している。コンゴにおける歴史的な選挙、スーダン難民危機、ハイチのアリスティド元大統領の亡命、イラク戦争などを伝えた。HP: www.jiroose.com

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キャンプに到着して2年後、アイザック君はキャンプの学校で学んでいる。2014年1月、コーベキャンプで撮影 Photo by Jiro Ose


紛争によって引き裂かれた家族がいる。それは一家族でも多すぎる。

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