War has forced millions of families to flee their homes

This is the most urgent story of our time

タンのストーリー

タンは妹お母と共に2011年タイへ逃れました。
今はタイの難民キャンプで生活しており、「ここでは安心できる」と言います。

私たちにはもう何も残っていません。

アワドの家族は2012年4月に、破壊された家の瓦礫の中から掘り出した礼拝用の敷物と衣類だけを持ってシリアを離れました。アワドにとっての祖国の思い出は、紛争のもたらした恐怖と破壊、また息子の死によって損なわれてしまいました。今はただ希望を失った祖国とアワドと同じように祖国を逃れた人たちと共に悲しみを分かち合っています。

みんなで広げよう!#0620世界難民の日

#0620世界難民の日ツイートをリツイートしてくれた方の中から抽選でUNHCRエコバックをプレゼントいたします!


傷ついた女性を一人でも立ち直らせることが出来たら、それだけで大きな成果です。

シスター・アンジェリーク・ナマイカ, 2013年UNHCRナンセン難民賞受賞者

シスター・アンジェリークのストーリー

2013年ナンセン難民賞を受賞したシスター・アンジェリーク・ナマイカ氏はコンゴ民主共和国のもっとも人里離れた地域で活動しています。

世界難民の日:ストーリー

世界中で紛争によって多くの家族が家を追われています。しかし報道されているのは激しい戦闘の状況、行き詰る和平交渉、そして犠牲者の数。6月20日・世界難民の日に、UNHCRは紛争が家族にもたらす影響に注目します。UNHCRのキャンペーンは難民が持つ勇気と希望のストーリーに光をあてます。これは今私たちが世界で最も知るべきストーリーです。

アレックのストーリー

「学んで得た知識は私に力を与えてくれます。学校が私に輝くチャンスをくれたのです。」

イェハヤのストーリー

イェハヤはレバノンで100万人目のシリア難民として登録されました。

マハムードのストーリー

2012年10月にシリアを逃れ、難民となったマハムード一家はエジプトで困難な生活を送ってきました。

シャハドのストーリー

4歳のシャハドはシリア西部にあるハマ近郊の村で生まれました。シャハドとは「蜂蜜の一番甘いところ」という意味です。

モハメド・シャアのストーリー

ロヒンギャの人びとが再び平和に暮らし、学校へ通い、お互いを助け合って生きていける日が来ることを願っています。

アシュラフのストーリー

アシュラフはシリア紛争が始まった2011年3月15日にホムスで産まれました。まもなくして家族は車にわずかな貴重品を積みレバノンに向かいました。


夢は難民が世界からいなくなり「難民ナウ!」もなくなることです。

―難民ナウ! 宗田勝也さん (宗田さんのインタビューはこちら

マリップさんのストーリー

「愛する母国の味を日本人にも知ってもらいたい。」
マリップ・セン・ブさんは、ご出身のカチン族の文化を広めるために2011年に「実の里」をオープンしました。*現在店名はミャンマー少数民族料理 タンヨージン

南さんのストーリー

「扉をくぐればそこにはベトナム」
南さんはそんな思いを胸にお客さんを日々迎えています。

世界難民の日とは

皆さん、6月20日が何の日が知っていますか?

ユニクロ、シェルバ英子さんのストーリー

二度目のネパール、その服の行方
「服の役割は、暑さや寒さから身を守るだけではないのだと、ギータの笑顔が大切なことを教えてくれました。」

紛争によって引き裂かれた家族がいる。それは一家族でも多すぎる。

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