いつか、家族全員で故郷に帰りたい。 シリア紛争人道支援の現場で出会った、 ある家族の願い。

Photo © jpf/Yu Tsukioka

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生まれ育ったシリアを離れ、ヨルダンへ。
自宅が爆撃を受けてから、
安住の地を求めてさまよう9人家族。
彼らの願いは、紛争が起こる前のような
穏やかな暮らしを取り戻すこと。

ヨルダン・西部ザルカ市に暮らす、両親と子ども5人、祖父母の9人家族。シリアでの紛争が激しくなり、自宅が爆撃を受け破壊されたため、一家は親戚を頼ってシリア国内の別の村に移動しましたが、その村も攻撃を受けて危険な状況になったため、ヨルダンへの脱出を決意しました。シリア・ヨルダン国境まで何とか移動したものの、途中で父親は足を撃たれ負傷してしまいました。

ヨルダンでは、ザータリ難民キャンプに入り、しばらくは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などの支援を受けて生活していました。難民キャンプでは、公衆トイレが近くになかったため、テント内に穴と溝を掘ってトイレ替わりにせざるを得ませんでした。食糧は供給されていましたが、豆や穀類と乾物、缶詰ばかりで新鮮な野菜や乳製品がなく、栄養が偏っていました。公共の台所は、先にキャンプに入って生活している特定の地方の人々が占領しており、短い時間しか使えず非常に不便でした。学校までは、与えられたテントの場所から遠すぎて、子どもを通わせることができませんでした。こうした厳しい環境が原因で子どもが体調を崩したこともあり、一家は難民キャンプを出ることにしたのです。

ザルカ市で何とか住居を見つけ、9人家族で2部屋での生活を始めました。いったん難民キャンプを出てしまうと、住居、食費、光熱費をすべて自分たちで支払わなくてはならず、常に現金が足りない状況に陥りました。父親はシリアでは看護師をしており、ヨルダンでも看護師として働くことを希望していますが、ヨルダン政府の方針により、キャンプ外で難民が働くことはできません。現在の大家は良心的ですが、そのうちに家賃の値上げを要求されるかもしれません。このまま父親が働けない状態が続いた場合、どうやって生活していけばよいのか、家族の不安は大きくなる一方です。

5人の子どもたちのうち、長男は、紛争体験がもとで精神状態が不安定になり、一日中ベッド代わりのマットレスに座ったまま口をきかない。二男は盲目で、学校に1人では行けないし、家の中でもトイレに行くときは誰かが付き添わねばならない。長女は就学年齢になり、最寄りの学校は遠くてバスに乗って行かねばならないが、経済的に余裕がなくバス代が出せず学校に通わせられない。4・5番目の子どもたちは双子で、まだ幼い。幼児がいる上に、母親は現在妊娠しており、働くこともできない。そんな状況が続くなか、一家は現在、経済的にも精神的にも困窮しており、先行きを見通すことのできない毎日を送っています。

UNHCRによると、2014年6月現在、家を追われたシリア人の数は900万を超え、シリアはまさに世界的に最も多くの難民・避難民を出す国となってしまいました。日本政府はシリア危機に対する積極的な人道・財政支援の提供を表明し、2.8億米ドルの人道支援およびヨルダン安定化に資する円借款1.2億米ドルの拠出を表明しています(2014年2月)。

政府、経済界、NGO の連携による支援を実施するしくみを持つジャパン・プラットフォーム(JPF)も、2012年11月から支援を続けています。これまでに、シリア国内および周辺 4 ヶ国において、12の JPF 加盟 NGO が、31の支援事業を展開してきました。JPF 加盟 NGO の各活動は、国連の最新のリージョナル・レスポンス・プラン6(シリア難民・地域対応計画第6版)の中に正式に位置づけられ、その内容は、難民キャンプなどにおける生活物資の配布、水衛生環境の改善、子どもの保護など多岐にわたっています。現地の状況を調査の上、難民キャンプ内だけではなく、キャンプ外の避難民に対しても支援を継続し、彼らの希望を支えています。
Photo © jpf/Yu Tsukioka


by ジャパン・プラットフォーム(JPF), Syrian Arab Republic
posted: Thursday, 19th June, 2014


紛争によって引き裂かれた家族がいる。それは一家族でも多すぎる。

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