皆それぞれ難民にまつわるストーリーを持っています。 それはあなた自身のストーリーかもしれないし、家族や友達のストーリーかもしれません。またはあなたがテレビやネットで見聞きしたストーリーかもしれません。あなたのストーリーをシェアして家を追われた人への支援の気持ちを示してみませんか。
例:「避難」「私の難民の友達」「ソマリア出身のイブラヒム」
あなたの住んでいる国、もしくはストーリーと関連している国を記入して下さい。
Example: https://www.youtube.com/watch?v=o4OIVW0waEo
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ロヒンギャの人びとが再び平和に暮らし、学校へ通い、お互いを助け合って生きていける日が来ることを願っています。
遠い国で起こっている出来事ではなく、日本にも難民がいる事実を認識し、難民問題に興味を持って欲しいと思います。
―株式会社アルーシャ代表取締役 岩瀬香奈子さん (岩瀬さんのインタビューはこちら)
4歳のシャハドはシリア西部にあるハマ近郊の村で生まれました。シャハドとは「蜂蜜の一番甘いところ」という意味です。
ナイジェリアでは紛争の激化に伴い多くの人々が家を追われています。家は破壊され田畑は荒廃し、市場は手榴弾の的となり、友人や家族は殺されたり逮捕されるなど、紛争による暴力に苦しんでいる人々ばかりで、彼らに共通するのは圧倒的な恐怖です。
「愛する母国の味を日本人にも知ってもらいたい。」 マリップ・セン・ブさんは、ご出身のカチン族の文化を広めるために2011年に「実の里」をオープンしました。*現在店名はミャンマー少数民族料理 タンヨージン
ガザルと子どもたちにとって、シリアを離れるというのは辛く、しかし避けることのできない決断だったのです。
二度目のネパール、その服の行方 「服の役割は、暑さや寒さから身を守るだけではないのだと、ギータの笑顔が大切なことを教えてくれました。」
生まれ育ったシリアを離れ、ヨルダンへ。 彼らの願いは、紛争が起こる前のような穏やかな暮らしを取り戻すこと。
アシュラフはシリア紛争が始まった2011年3月15日にホムスで産まれました。まもなくして家族は車にわずかな貴重品を積みレバノンに向かいました。
「私はまだ安全な場所を探しています。過去の悪い記憶を忘れることの出来る場所を探しています。前に進みたいんです。」
年老いた母親と娘を背負って歩いた15日間の記憶
もしもあのとき僕たちに選ぶことが出来たなら、故郷を離れることなんて考えもしなかっただろう
イェハヤ、レバノン100万人目のシリア難民
教室に入るとたくさんの瞳がいっせいに私を見つめる。小さな教室に溢れかえる、希望に満ちた子どもたちの顔。その中に、見覚えのある少年がいた。
「学んで得た知識は私に力を与えてくれます。学校が私に輝くチャンスをくれたのです。」
「扉をくぐればそこにはベトナム」 南さんはそんな思いを胸にお客さんを日々迎えています。
この女性たちは私たちの家族と同じように誰かの祖母であり、母であり、姉妹なのです。
2012年10月にシリアを逃れ、難民となったマハムード一家はエジプトで困難な生活を送ってきました。
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